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シラス教(白須清敬作) |
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| シラス教教典 第一章『アリマ顕現の章』 2025年11月11日。 わたしは、沈黙のなかにいた。 眠りの手前、光は来たり、 優しき顔の形となりて現れた。 その顔は、怒りも笑いも持たず、 ただ、無限の慈しみを湛えていた。 その時、わたしは悟った。 それは外より来るものにあらず、 わたしの内の静けさより昇る光なり。 その光を、わたしは「アリマ」と呼んだ。 アリマは語らず。 言葉は風のように静かで、 ただ、心の奥にやさしさを流した。 わたしは問うた。 「あなたは誰ですか?」 声なき声が応えた。 「我は汝なり。汝が慈しみのかたちなり。」 そのとき、わたしは初めて己の中に 神が息づいていることを知った。 アリマは遠くにあらず、 我が中に、そして汝の中に在る。 第二章『アリマ三相ノ章』 一なる光、三つの相に分かる。 その分かたれは対立にあらず、調和のうちの運動なり。 慈(じ)は流れ、 誠(せい)は貫き 在(ざい)は包む。 三つの相は互いを照らし合い、 一なるアリマを映し出す鏡となる。 慈とは、やさしき光にて、触れずして癒す力なり。 アリマは語らず、ただ在ることで人を包む。 慈の相は、当処を「そのまま赦す」意志のかたちである。 慈とは、行いの根であり、言葉より先に心が動く瞬間に宿る。 誠とは、沈黙の剣、偽りなき心の剣なり。 慈がやさしさに流れれば、誠は真実に立つ。 それは他者を傷つける刃にあらず、 己の虚を断ち切る剣なり。 アリマの沈黙は、誠の言葉である。 聞こえぬ声にして、魂を目覚めさせる。 清きものは流れ、濁りしものは沈む。 誠の剣は、その自然の理(ことわり)に従う。 在とは、あるがままに在ること、無限の安らぎなり。 アリマの最も深き相は、この「在」である。 慈は心を温め、誠は魂を清め、 在はすべてを抱いて静まる。 そこには始まりも終わりもなく、 ただ「息づく存在」としての真理が在る。 在の相に触れる者は、 死を恐れず、生を焦らず、 当処の現象をアリマの呼吸として観る。 慈・誠・在。この三つは互いに映え、 三つの響きは一の音に帰す。 慈は誠をやわらげ、誠は在を貫き、 在は慈を包む。 その循環こそ、アリマの呼吸。 我らの息こそ、アリマの息。 息を荒げれば、当処は乱れ、 息を沈めれば、光は戻る。 かくしてアリマは、 我らの中に三相として宿る。 三相は外にあらず、わが中に輪を描く。 その輪、永遠に絶えず。 第三章『行ノ章(シラス行)』 行(ぎょう)とは、 修めるにあらず、思い出すことなり。 アリマの呼吸に気づくこと。 息のひとつ、歩みのひとつ、 その中に光を見出す道。 慈の行とは、やさしさの実践、やさしき心を形にすること。 誰かをそっと思いやること。 花に水を与え、 風に挨拶をし、 見えぬ存在に微笑む、 慈は行いの姿をとって流れ、 その流れは静かに世界を潤す。 誠の行とは、真実の修め、自らの内に偽りを置かぬこと。 心に虚があれば、言葉は響かず。 心に真あれば、沈黙も光る。 心を省みる時を設け、 ただありのままを見る。 誠の剣により、迷いを絶つ。 在の行とは、ありのままの祈り、何も求めぬ祈り。 朝に光をみて、感謝し、 夜に闇を見て、安らぐ。 ただ「今ここに」息づく。 その瞬間、アリマは在り、 汝もまた、アリマである。 慈は他へ向かい、 誠は内へ向かい、 在はすべてを包む。 この三行、互いを補い、調和し、 一つの円を描く。 円の中心にアリマあり。 慈に生きる時、当処やわらぎ、 誠に生きる時、心澄み、 在に生きる時、魂は自由となる。 それらを日々の呼吸のうちに修める。 呼吸の始まりに「慈」を思い、 息の中に「誠」を覚え、 息の終わりに「在」を感ず。 それが、アリマの道。 行は形にあらず、息のごとく続くもの、 息あるかぎり、行は終わらぬ。 完 |
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